平常展示室
梵鐘「城山の鐘」をめぐるエピソード
若山牧水が歌に詠んだ、宮崎県指定有形文化財である初代「城山の鐘」を展示する、平常展示室のプロローグとなる展示エリアです。CGで再現した延岡城や城下町の様子をはじめ、ドローンで撮影した現在の城山公園の様子などを見ることができる映像が壁面に大きく投影され、「延岡」という用語の初見資料でもある初代「城山の鐘」が見守ってきた、城下町延岡の歴史に触れることができます。
遺跡が語るいにしえの延岡
延岡市古墳第4号墳(小野町)から出土した舟形石棺や、国指定史跡・南方古墳群第24号墳(大貫町)の石室断面模型をエリアサインとして展示している空間で、市内で確認されている遺跡の分布状況や、出土した石器や土器、鉄器などの遺物の展示をつうじて、約3万年前となる旧石器時代から古墳時代にかけての延岡の様子や、環境に適応しながら暮らす当時の人々の姿を紹介しています。
日向国の成立と中世のあゆみ
弘治3年(1557)に、市内の舞野町に建立された宮崎県指定有形文化財である石造六地蔵幢や、12世紀前半に製作され、市内の三須町で発見された積上式経筒をエリアサインとして展示している空間で、律令制の導入に伴い、日向国が成立し、臼杵郡の郡家が置かれたと考えられる奈良時代から、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国時代にわたる延岡の状況について、国宝や国重要文化財のレプリカなどの展示をつうじて紹介しています。
歴代藩主の治世と人々のくらし
松尾芭蕉と親交を結び、その後援者としても知られる内藤義英所用と伝えられる「紺糸威二枚胴具足」や、内藤家に伝来した、いわゆる南蛮胴具足と呼ばれるスタイルの「浅葱糸素懸威二枚胴具足」、そして、有馬氏が延岡藩主であった時代の延岡城下の様子を、明治大学博物館が所蔵する「有馬家中延岡城下屋敷付絵図」に基づき再現したジオラマ、さらには宮崎県指定有形文化財である一般社団法人きよたか美術館が所蔵する、有馬氏が延岡藩主であった天和元年(1681)頃の延岡市から日向市にかけての景観を描いた「延岡城下図屏風」を原寸大に出力したグラフィックを貼った壁面などをエリアサインとする、平常展示室の中でもメインとなる展示空間になります。高橋氏、有馬氏、三浦氏、牧野氏、内藤氏と藩主が目まぐるしく交代することによって変化した藩領域の変遷や、それぞれの時代における支配のあり方、また、藩主が代わっても引き継がれてきたと考えられる「天下一」の焼印の捺された能面の展示なども行っています。
延岡の近代化と未来へのあゆみ
第二次世界大戦時には空襲警報に用いられた、城山の鐘撞堂東側に設置されていたサイレンをエリアサインとして展示している、延岡の近現代の歴史を紹介する空間となっています。最後の藩主であった内藤政擧が、明治23年(1890)に延岡に帰還してから行った教育事業や、銅山経営などの様々な産業の奨励事業をはじめ、和田越の戦いや薩軍の解散令が布告されるなどした延岡と西南戦争との関わり、また、延岡市の誕生から第二次大戦を経て、現在へと至るまでの延岡市の移り変わりを、数多くの実物資料や写真などをつうじて紹介しています。
むかしの暮らしと様々な道具
現在は祗園町となっている当時の元町において、明治2年(1869)に製作された、龍吐水と呼ばれる消火に用いる手押しポンプをエリアサインとして展示している、民俗資料を紹介する空間になります。生活道具や農耕具、山樵具、漁撈具をはじめ、懐かしい電化製品などを、「家の中で使う道具」「家のまわりで使う道具」「田畑で使う道具」「山・川・海で使う道具」というように、使用された場所ごとにまとめて紹介しています。
延岡ゆかりの偉人と美術工芸品
数々の日本初となる偉業を成し遂げた飛行機操縦士・後藤勇吉や、現在の延岡高等学校にあたる延岡中学校在学時から「牧水」の号を名乗るようになった歌人・若山牧水、そして、「貴重な史料は一私人が専有すべきものではなく」「最も適する地域に保存保管さるべき」として、内藤家に伝来した数々の文化財を本市に寄付するなど、本市の発展に大きく寄与した内藤家17代当主・政道を紹介しています。また、岡部南圃といった延岡出身の絵師による絵画作品をはじめ、のぼり猿や紅渓石硯、小峰焼、丸山焼といった美術工芸品も展示しています。